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『蒼球のフレニール』
アリル・ラルトのプライベートテイル終章

刻のつばさひろげ
水の流れをたどり
空の回廊をこえて

明るき火のともる
なつかしき故郷へ

見交わす瞳のむこうに
その道はあり
たったひとりのあなたと
共に歩もう 約束の輪

かりそめの宿は
うたかたの安息
つないだ手のぬくもりに
勝るものでなく

たったひとりのわたし
いつか叶う夢をうたおう

「ああ、妖精さんの唄が聴こえる」
 金髪を中途半端に伸ばして束ねている黒いローブの青年が楽しげに笑った。
 しかし彼はすぐにその唄への興味を失ったらしく、また何事もなかったのかのように──そもそも足を止めることすらしなかったのだが──別の事を考えはじめたようだった。
 それはどこかの空の下で。

 ユグナリア王国に春が訪れようとしていた。
 アースラント大陸の北方にあるこの国に吹く風は、ときたま肌を刺すような息吹が陰をひそめ、どことなく人々の陽気さをひきだすようなおだやかさに満ちはじめた。
 首都はお祭りさわぎで湧きかえっていた。はじめは異世界へ行方不明になっていた人々の無事の帰還を祝ってのものだったが、どこから噂が流れてきたのか、第二王女の懐妊祝いへとすりかわっている。ついこのあいだまでの陰うつとした雰囲気はどこへやら、住人達は大通りから路地裏まで所狭しと屋台を立て、道ゆく人々にただ同然で食べ物や飲み物を振る舞う。
 それらをひやかしながら道をゆく、なんとなく目を引く二人連れがいた。
 ぱっと見ただけでは二人連れだとは気付かないだろう。長身のイヌ族の連れのヌーはとてもとても小さいからだ。
「ピエ姐、あれはなんていう食べ物なんだ?」
 人ごみの中、ひときわよく通る元気な声。何人かの人がはっと気付いたようにそちらへ目を向け、その声の主の小さな妖精少女の姿を確認して頬をゆるめる。
 このままではうっかり踏まれそうだと思ったのかもしれない。連れのイヌ族の女性が少女を抱え上げて肩車をした。女性の明るい金髪と、少女の暗い金髪が共に春の日ざしに輝く。
「わぁ、すごい人の波だ!!」
「暴れておちないでよね、アリル」
 蒼い瞳を輝かせて歓声をあげる少女アリル・ラルトに、ピエチェスカ・ルーインは苦笑いを浮かべる。街に出てからずっとこの調子なのだ。
「このぶんじゃ首都を出るのにどのくらいかかるやら」
 ためいきをついたピエチェスカに、アリルが顔を寄せる。
「ピエ姐、ホントにフレニールハンターの仲間を連れてこなくてよかったのか?」
 ピエチェスカは数人のヒト族やイヌ族の仲間と共に、フレニール・ハンターという名を名乗って冒険者のグループを組んでいた。アリルはそのことを言っているのだ。
「いいのいいの。野郎は抜き。たまには女だけで旅っていうのもいいわよ。費用も王サマにたっぷりいただいているんだから、アリルは心配しなくていいの」
「そうだな!」
 旅らしい旅などしたことないくせにもっともらしくうなずくアリル。
「でもユゥリも冷たいやつだな、一人で先に帰るんだなんて」
 アリルと一緒にユグナリアに来ていた幼なじみのユゥリ・メルフィスは、このあいだの船の便でオストランゼ大陸に帰還していた。いろいろあって、当然費用は国持ちである。
「仕方ないわよ、ユゥリはユゥリ……!」
 ピエチェスカが前方の屋台に誰かを認めて絶句した。アリルはそれが最近ピエチェスカに言い寄っているF・H候補のアルマのコトかと思って捜したが別に長身の狼顔のイヌ族は見あたらなかった。
 ふと視線を下に落として、目を見開く。
 その間にアリルを肩車したピエチェスカは「彼」の前まで辿り着いていた。
 誰あろうそれは、この間の船の便でオストランゼに帰還したはずのユゥリだった。
 また迷子になっていたらしい。見ればわかるが。
 可憐な女の子の顔で(生まれつきで当人は意識しているわけではないが)屋台の主人からお菓子をおまけに貰ってにこにこしていたユゥリは、目の前に見知った顔を二つもみつけてさらに満面の笑顔になった。
「あれぇ、アリルちゃんにピエチェスカさん〜。ひさしぶりー」
 アリルとピエチェスカの驚愕の声は王城にまで届いたという。

「ほら、あれがゼッフェル山地よ。手前がロイエ河……今年はやってるのかしら」
「毎年何かやっていたのか?何だ?」
「春祭りよ」
 ユグナリアの首都から国をひとつ越えて大陸を五分の一ほど横断したところに、最初の目的地はあった。
 あの後一度港まで行って、オストランゼ行きの船の王家づきの乗員にユゥリを引き渡してきた──今度は大丈夫だろう、多分──。
「あそこは、っていうかこの国はこないだまで戦地だったところだからね。帝国軍は撤退したっていうけど何があるかわからないからね。危なそうだったら帰るわよ」
 くどいくらいに念を押すピエチェスカに、アリルも神妙にうなずかざるをえない。
「うん、わかってる……でも、逢いたいひとがいるんだ」
 
 そんな会話がかわされたしばらく後。
 鉄道の線路づたいに歩く二人の前方に、それは見えてきた。
「あれは祭りの飾りじゃないか!?なぁ、ピエ姐、音楽も聞こえるぞっ」
 アリルが文字どおり飛び上がる。そしてにぎやかな方向へと一目散に駆け出した。焦ったのはピエチェスカである。
「ちょ……ちょっとアリル!まだ遠いのよ、今から走ったらへばるわよ!」
 しかしアリルがそれを聞き入れるわけがない。

 既に陽は落ちかけて、アンザスの町は黄昏時だった。
 祭りのため普段よりも多く趣向をこらした明かりがぽつぽつとともりはじめる、そんな頃。
 銀の髪の少年が家路につくためだろうか、まだ瓦礫の片付いていない通りを歩いている。
「ハルゥちゃん!」
 ちゃんづけされる歳ではもうないのだが、薄暗がりに見知ったおばさんを見つけて少年ハルゥ・カナルは笑顔で会釈をかえした。
 しかし、おばさんはなにやらものいいたげなにやにや顔で近寄ってきた。
「ハルゥちゃんったら、いつからあんな可愛い娘と知り合いになったのよ!」
「……はぁ」
 なんのことだかわからない。しかしおばさんは容赦なかった。
「とぼけてもダメよ、あの娘ってばずーっと『ハルゥはどこだ?』なんてさがして歩いてたんだから。フューイの、お父さんの家を教えておいたから覚悟決めて帰りなさいよ」
 それだけ一気にまくしたてると、おばさんはさっさと行ってしまった。
「か、覚悟って……?」
 目の前にはもうハルゥの家──父の病院──が見えている。
 首をひねりながら勝手口をあけると、小柄な人影が勢いよくぶつかってきた。
「うわっ」
「ハルゥ!遊びに来たぞっ!」
 既視感。いや違う。夢で、たしかにあったこと。ハルゥのエメラルドの瞳に理解の微笑みが浮かんだ。
「アリル……」
 可愛い娘には違いない。可愛い違いだが。
「不思議なこともあるものよね、ハルゥ」
 忙しいはずの母シーナが出てきていて、客人の話し相手をしていたらしい。彼女がついたテーブルの向かい側には冒険家ふうのいでたちのイヌ族の女性が座っていた。
「あ、ごめん母さん、すぐに夕飯の支度するよ」
 ぱたぱたと慌ただしくなりはじめたカナル家の客人達は、手伝おうと腰を浮かしかけたところで再び家人に椅子につかされ、その様子を眺めることとなった。
 父フューイが仕事を終えて戻ってきたところで、ささやかな晩餐がもよおされることとなった。ハルゥが今日の客人と出逢ったくだりを皆が興味深そうに聞き入る。誰も一笑にふすものはいなかった。
「アリル、どうして黙ってたのよ」
 ピエチェスカがこっそりアリルの脇をつつく。
「ナイショのほうがおもしろそうだろう?それにピエ姐だって何も言わずについてきてくれたのはどうしてなんだ?」
 アリルもこっそりつつきかえす。
「なんだか面白そうだと思ったからに決まってるじゃない」
 堪えきれずに、といった感じで含み笑いが起こった。ハルゥの父フューイだ。二人は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
「あ、いや失礼」
 フューイは五十近いだろうが、未だに黒髪と端正な面だちを残している。長身で、別種族から見ても魅力的だった。それは母シーナにもいえることだが。
 ふと、アリルはハルゥに訊いた。
「ハルゥ、カトラには会ったのか?」
 翠と蒼の宝石の瞳が見つめ合う。
「……いつ?」
 アリルはあのときアンザスには居なかったはずなので、なぜカトラの……あの黒髪の魔女のことを知っているのか。
「……ううん、ごめん、いいんだ」
「あら、カトラってだれのこと?ハルゥ」
 響きから女性名だと判断したのだろう。シーナが興味津々に合いの手を入れてきた。
「あ、いや、アンザスに来てた帝国のひとで……でもそんな悪いひとじゃなくて……」
 急に歯切れが悪くなったハルゥをよそに、アリルはきょろきょろと無遠慮に部屋の中を見回していて、棚の中の家族用の食器がどれもひとつ多いことに気がついた。予備ではない証拠に、いつでも使えるように丁寧に手入れがなされている。
 でも、彼女がそれをつかうことはないのに。
 なんとなく、そう思った。

 あかりに映える花飾りや、夜更けても行き交いさざめく人々の影がどこか夢のようで。
 そんな夢と現実のはざまにいつもいるような、そんなヒト。
「子供がこんな夜中まで起きているのは感心しないね」
 昼間なら昼間で別の言い方をするのだろう。
「それに私は普通の人間だよ。だからキミに見つかってしまった」
 魔女だけれど。
 闇より暗い黒髪をさらりと揺らして、家の残骸に腰掛けていた柘榴石の瞳を持つ魔女はゆっくりと振り向いた。
「カトラ、これも夢だと思うか?」
 今までがそうだから。
「さぁて、アリルはどうだと思う?」
 答えは、そのひとだけのもの。
 意地悪。頬を膨らましたアリルにカトラはくすくすと笑う。世界の真実を知る魔女は。
 ちょこちょこと近寄ってくる妖精を、手を差し伸べてやるでもなくただ見ている。
 崩れた石壁の上にやっとこさ登って、立ち上がって服や両手を払うところまでじっと見ている。
 アリルは、カトラの頬をちいさな手でそっとはさんだ。そのあかい瞳の下のクシーダを彩る化粧は相変わらずだ。やわらかく、ひやりとした感触。以前会ったときとかわらない。
「変わらないことを望むのは、愚かなことだよ、お嬢さん」
 せかいはかわるもの。
「そうか?カトラはずっと変わらない気がするぞ、私は」
「おや、そうかい?」
 意外なことを言われたと、目をまるくする。演技だが。
 永遠などどこにもないさ。繰り返すだけ……。でも急がないと、なくしてしまうよ。……何を?
「でもその途中にカトラがいるなら、いいんだ」
 カトラ、大好きだ。一緒に行こう。
「見つかってしまったのなら、不実な従者はお供しましょう、お姫様」
 絶対に見つかってやらない自信を込めて。

 星の数をかぞえていたら、眠ってしまったらしい。
 目覚めてみると当然、隣には誰もいなかった。逃げられた。
「カトラ〜、こういうときは上着くらいは掛けていくものだぞっ!」
 風邪をひかなかったのは僥倖かもしれない。ひとりで憤っていると、ピエチェスカとハルゥが迎えに来た。
「アリル、何怒ってるのよ」
「魔女にいじわるされたんだっ」
 誤解だと、カトラでなくともいうかも知れないが。
 あんまり怒っていたので、そばを通りがかった二人連れのうち、黒髪の男性のほうがアリルの声にどきりと首をすくめ、そちらを見ようともせずになにやら妙に急いでその場を立ち去ったことに気付かなかった。
「カノン?」
「ルゥ、悪い」
 もうひとりの女性と交わしたこんなやりとりも届くことはなかった。この時は。

「ピエ姐、ありがとう。ずっと私のそばにいてくれて。大好きだ、私のお姉さん……これからもずうっと。逢いにゆくから、待っていて」

「で、これからどうするんだい?」
「ええっと、ユゥリの奥さんと子供にお土産だろう?あ、ユゥリにも。それとユレシアに手紙を書いて、そろそろピエ姐をさがしにいかないと……」
 指折り数えはじめたのは、片耳にクシーダを浮かべ、豊かなダーティ・ブロンドの髪をおろしたヌーの少女だ。同じヌーからみれば、妙齢の女性ということになるが。それから、ふと気付いて質問者の方を見る。
「カトラ!どこ行ってたんだ」
「なに、ちょっと異世界ツアー。古い知り合いがいてね」
 なんでもないような笑みを浮かべる。
「お嬢さんはあいかわらずさがしものかい?」
 いたずら心たっぷりの笑顔で、答える。
「ああ!おいかけっこは鬼にかぎるんだ」
「私はかくれんぼのほうが好きなんだけどね……」
 ひょいと手を伸ばして、アリルの金の髪を一房すくいとる。
「髪を染めるのはやめたのかい?」
 まばゆいばかりの笑顔で。
「もういいんだ、私は見つけたから」
 蒼穹をふりあおぐ。
「これから見つけにゆくから」

 いつも空を眺めている。
 あのむこうに、あのひとがいるから。
 

2001.1.あり

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