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『蒼球のフレニール』
アリル・ラルトのプライベートテイル2

 
 大空の覇者、グレイスン連合王国が属するアースラントから遠く離れたオストランゼ大陸。
 不思議な種族、ヌーとドロンドロンの楽園であるここは、今は夏の真っ盛りだ。
 陽気な住人達は草木や生き物達がいちばん元気でにぎやかなこの季節を、精霊達に感謝しながら変わらぬ毎日を過ごしていた。

 そんなオストランゼにも、近代文明の匂いのする街が存在する。
 かつてグレイスンからの世界周遊艦隊の飛行船が降り立った地だ。いまではそこは大陸と大陸の住人達の交流の場である。
 オストランゼの豊かな実りを、ヌーの織物を各地の様々な特産品やイセリアル・アーキテクト(紋章工芸品)と交換するのだ。
「見ろ、ユゥリ!ひとがたくさんだ!!」
「ほんとうだねぇ」
 背中に大きな荷物を背負った二人のかわいらしいヌーが街を見て歓声をあげた。
 人間の半分もない背丈、長くとがった耳。彼らヌーを、人間達は妖精と呼ぶ。
 そして長い長い寿命も持つヌー達。しかしこの二人はヌーとしてはまだ幼いようだ。
「あ、あっちに船があるぞ!行ってみようよ!」
 はしゃいで今にも駆け出しそうな少女。暗く美しい金髪──しかしなぜか半ばから黒く染まっている──を持つ彼女は、ヌー達のなかでもいっとう小柄だ。そして、まだ十年は生きていまい。名をアリルという。
「まだダメだよ。この荷物をおじさんに届けなきゃいけないからね」
 言いながらもすでに周りのにぎやかさに気をとられている、アリルより頭一つ以上背の高い輝く銀の髪の少年は、はた目には女の子にしか見えない愛らしさだ。アリルより二十年は年長だが、ふんわりとやさしい翠のひとみが彼がまだ人間にしてほんの十四、十五歳だというのを物語る。
「ちょっとだけだ。な、ユゥリ!」
 興奮しているアリルのヌー特有の長い耳に、風とも流れ星ともつかない紋様が浮かび上がった。通りすがりの船乗りがその痣を目にして、おっ、という顔をする。
 この程度の反応で済むのだから、彼はきっとグレイスンの出身なのだろう。
 クシーダ、「痕」を持つ者はこの蒼球ルーディエのほとんどの国でカサンドラ──魔女──と呼ばれ忌み嫌われているのだ。
 そんな事情を露とも知らない──知ってても気にしていない──二人はそれを隠すでもなく屈託なくじゃれあっていた。
「あ、ほらほら。おじさんがいたよ」
 ユゥリが指さした先の露店のひとつには、緑と桃色のカラを持つドロンドロン──かたつむりに似た種族──がふろしきいっぱいに村で作られた織物やアーキテクトの工芸品を並べていた。駆け寄ってきた見覚えのあるヌーの子供達を見て、彼は真ん丸な目をくりくりさせた。
「あれあれ。メルフィス村長さんとこのぼっちゃんに、ラルトの嬢ちゃんじゃないかい?」
 ドロンドロンのおじさんにアリルとユゥリは背中の荷物をおろして差し出した。
「おじさん、父さんがこの織物もって」
「はい、これ忘れ物のお弁当」
 左右から同時につきつけられて、おじさんは受け取りに右往左往する。
「ああ、こりゃ、悪いね、ありがとう。……二人だけでおつかいに来たのかい?」
「うん!」「そうだよ」
 元気な答えに、おじさんは思わず荷物を落っことしそうになる。
「おやおや、あの人たちも思いきった事するね。こんな小さな子供達だけで来させるなんて」
 おじさんの言葉にアリルがにっこりと笑う。
「そうなんだ!たまには社会勉強もいいだろうって!なあ、ユゥリ」
 言葉と同時に袖をぐいっとひっぱられて、おもわずうなずきかけるユゥリ。そうだっけ?
「あれ?確かにおばさんが忘れ物に気がついた時近くにいたのはボク達だったけど、頼まれたのはアリルのお父さんだったよね……?」
 なんでボクはここにいるんだろう?ユゥリは思った。
 すこし考えてみて、まあいいやと思った。
「うんうん。仲がいいねえ」
「ああ!ユゥリのことは好きだ!なんてったって癒しの力がつかえるアーティストなんだから!」
 アリルの言葉にユゥリは微笑んで、おじさんは苦笑いを浮かべた。クシーダ、この大陸の住人達が『たまもの』と呼ぶしるしを持つ者達は、例外なく不思議なアート(魔法)を使うことができる。
 ユゥリのイセリアル・アートは「生命の記憶」。他人の生命を感じ取り、自分のいのちを他の人に受け渡し怪我を癒す事もできる。
 ヌーの最長老でもあるヨルダじいさまを除けば村にたった二人の魔法使いだ。
 しかし、かつて村を訪れた人間の女性もカサンドラだった。彼女が村に滞在していたのはほんの短い間だけだったのだが。
 アリルがその女性を今でも強く慕っているということは村の誰もが知っている。
 何せことあるごとに引き合いにだし、黒髪だったその女性に似せて髪を染めまでしたのだ。アリルにクシーダが発現したのもその頃だった。
 かくして、その女性と同じカサンドラであるユゥリは無条件でアリルにつきまとわれる羽目になっているのである。本人はあまり気にしていないようだが。
「じゃあ、ごくろうさんだったね。お小遣いあげるから、お菓子でも買っておいき」
 おじさんはユゥリに連合王国の通貨を手渡す。
「ありがとう、おじさん。それじゃあ、行こうよアリル」
 人ごみにまぎれていく二人に手をふりながら、おじさんは言い忘れていた事を呟いた。
「あんまりいたずらなんかしちゃダメだぞーっと」

 ○
 
 おじさんの心配はそのまま的中した。
「見てみろユゥリ!船が空を飛んでるぞ!!」
「……ふぇ?あ、ほんとうだ」
 積み上げられた倉庫の荷物の上にのっかって、小窓から外を見て騒いでいるアリルの声に目覚めたユゥリは脇から窓の外を見て、相づちをうって、そして気付いた。
「飛んでるのって、今ボク達が乗ってる船なんじゃ……」
「うわー、上も下も右も左も全部空だ!」
 はしゃぐアリルのかたわらで、ユゥリは今日二度目の疑問を発した。ボクはどうしてここにいるんだろう?
 確か、船に乗ってみたいと騒ぐアリルに停まっていた飛行船のひとつにひっぱりこまれたんだっけ。船の中を探検して回って、辿り着いた倉庫で二人して眠ってしまった。
 小さなヌーは、陽気で騒がしいが眠っていれば静かである。だから出発前の点検にきた乗組員にも発見されなかったのである。
「なあ、この船はいったいどこへ行くんだろうな」
 ユゥリはやっぱり深く考えないことにしたようだ。アリルの言葉に、にこにこしながらうんうん頷いている。
「そうだねぇ。アースラントかなあ。それともハンルーかなあ」
 村人から聞いた他の大陸の名前をあげる。村から出るのもはじめてだったのに、その足で他の大陸に行くことになるとは思いもしなかった。
「なにがあるんだろうね。人はいっぱいいるかな。ヌーはいるかな。そうだ、ボクのアートでいろんなひとを助けてあげられればいいな」
 ユゥリの言葉を聞いて、何かを思い付いたようにアリルが目を輝かせて振り向く。
「私もだ。私も、立派なアーティストになる。「異世界の扉」の力を、刻の翼を手に入れて、そしてユレシアに逢いに行くんだ!」
 言ってユゥリに抱き着く。
「うん、がんばろうね!」
 その後二人は顔をひっつけあうようにして、窓の外を長い間眺めていた。
 
 ユゥリとアリルの乗った船がハンルー大陸の港町リージェンに到着するのはそのしばらく後の事である。

2000・3・あり

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