『蒼球のフレニール』
アリル・ラルトのプライベートテイル1
いつも空を眺めている。
あのむこうに、あのひとがいるから。
グレイスン連合王国の世界周遊艦隊が、ここオストランゼ大陸にはじめて来たのは、九年前。私が生まれて、すぐの時。
母さんと父さんは、その船に乗ってグレイスン連合王国のあるアースラント大陸へ旅立った。代々受け継いできた織物たちに、神秘の紋章を織り込むために。紋章技師──イセリアル・アーティサンになるために、紋章技巧──イセリアル・アーキテクトの技術を学びに。
私はひとりになった。
ううん、みんないた。いつも陽気で、おだやかな小さな仲間たち。みんなとわいわい騒いでいれば、寂しさを忘れていられる。
そんなある日、あのひとがやってきた。
「こんにちは、ちいさな妖精さん」
おおきなひとだった。女のひと。黒い髪、黒い瞳。さしだされた右腕にうかびあがる『たまもの』──ほかの大陸のひとは『クシーダ──痕──』と呼ぶもの──。
「でも、どうして。さみしそうね」
そっと私の頬をつつみこんだ暖かい手。
「私は、アリル。あなたは、誰だ?」
「わたし?私はユレシアよ」
そう言ってユレシアはほほえんだ。
なぜだろう。私はその時、なみだをこぼしたのだ。
出会いはこうだった。
私とユレシアは、すぐ仲良しになった。
「ここはいいわね。カサンドラだからといって、差別されることもさげすまれることもない。本当に『楽園』だわ」
風に木々の葉がざわめく。夏の木陰。そこで二人はお話をした。
「カサンドラ?」
「私のように『痕』を持つ者たちをカサンドラ、魔女と呼ぶの」
「知っている。アートを使う魔法使いたちの証だ。でもそれは祝福されるべきものだ」
『魔女』││その言葉の不吉な響き。ユレシアの痛みを感じているような表情。
「私が持つのは前世の記憶。人々にとって、ありえざる忌まわしき過去……」
私をひざに乗せて話すユレシアの手が、すこしふるえていた。
「ユレシアはここで暮らせばいい。ここではクシーダは精霊からのたまものだ。イセリアル・アートも前世の記憶も、持っていていじめられるなんてことはないんだから」
私はこう言ったのだ。ほんとうに、ユレシアにはここで暮らしてもらいたかった。
ただの気休めやなぐさめなんかじゃなかった。
ずっと一緒に。
いたかったのだ。
「私が今暮らしているのはグレイスンなの。そこではカサンドラは差別されないのよ。昔いた帝国のように、魔女狩りなんかない…」
ユレシアはたくさんお話をしてくれた。伝説の魔女ル・カレッカ、船に乗っておとずれたさまざまな大陸やそこに暮らす人々。深い霧につつまれた世界の底ヴァン・ケトルの謎。
いろんなお話をしてくれて、そしてユレシアは行ってしまった。
「また逢いましょうね、アリル」
こう言い残して。
ユレシアの乗った船が空へと舞い上がる。
私はそれを追いかけた。船が向かった先へ、日に夜をついで。
でも、すぐに行けなくなってしまった。
ふきとばされてしまいそうな強い風。切り立つ断崖。
大陸の果てだ。はじめて来た。
どこまでもつづく蒼い空。このどこかに、ユレシアの暮らす国があるのだろうか。
私はまた泣いた。前はユレシアがあたまをなでてくれたけど。
それからしばらくして、母さんと父さんが帰って来た。グレイスンへ行きたいと言ったら、小さいからまだだめよ、と言われた。
また何年かたって。私の耳にあざが──クシーダが浮かび上がった。
あのひとと、ユレシアとおなじカサンドラになれたのだ。
私がさずかったアートは『異世界の扉』。このちからをきわめたものは、異世界へ自由に行き来できるという。
そして私はきょうも空をながめている。
また逢おうと、約束したんだ。だから待つ。百年でも二百年でも。
ヌーは長生きなんだから。ずっと待てる。
それとも。いっそ私のほうから逢いに行こうか。
はやくおとなになりたい。
それよりも翼がほしい。鳥のような翼。
そうしたらすぐにでもあのひとのところに飛んで行けるのに。
ねえ、ユレシア……。

2000・1・あり
|