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エリクシェル・ヴェーダ プラリア4
『風の祝福を』

 赤い髪の少年は語った。
 ──どこから来て、どこへ行くのか。そうだな、多分どこへも行かないし、どこから来たのかも分からないんだろうな。僕にとっては現在ですらないのかもしれない。きっと、本能のまま動き続けるんだろうね。朽ちて砂と化すまでさ──
 口許にはいつもの余裕の笑み。けれど、その緑の瞳にはいつにない真剣さをたたえて。
 むずかしい問いだ。賢者と呼ばれるものたちがその生涯をかけて追い求め続ける答え。
 こんなふうにでも答えを返せるものはごく稀少だ。
 だからこそ、彼とともにあろうとした。
 それは、答えを見つけるため。
 ひと以外の存在。創られたいのち。その行方を見るため。

「ひどいもんだね、これは」
 間近で聞こえた声に、物思いに耽っていた背に翼を持つ女性──十六歳は普通少女だが──ユエリア・ラーズは我に返った。
 ここはアリア。砂漠の町。最近砂に没するという災厄に見舞われたが、人々は力強く生活している。
 そこに張られた仮設テントに、彼女らはいた。
 ユエリアは隣に立つ人物を見やった。身長差があるので見上げるようなかっこうになる。赤い長髪の、精気溢れる女性だ。
「まったくだ。あいつ一体どうなっちまったんだよ」
 さっきまでテントの外に停めてあった壊れかけのジープの様子を見ていた男性が相づちを打つ。
「しかし、我々は運がよかったほうですよ。大した被害もなく、撃退できたのですから」
 すぐそこに腰掛けていた騎士のいでたちをした美形男性がそう言った。
 その視線の向こうには、地面に敷かれた毛布に横たわり看護を受ける幾人ものアレスターたち。みな例外なくケガをしている。程度はさまざま。が、重傷のものが多いようだ。
 この三人も、今でこそ無傷だが、替える余裕のなかった服には無数の焦げあとがあり、肌が見えている。電光で灼かれたあとだ。
 三人の傷を癒したユエリアは、自分の胸元を見た。衿が少し、切れている。
 この事件の当初、アリアに現れた魔物少年フラム。何人ものアレスターが挑み、あるいは説得に当っていたが、数日前ツェボイエムにてとあるアレスターたちと戦った後、その態度を豹変させる。
 ユエリア達はその直後にフラムに遭遇した。
「ああ、そうだね……しかし、あの時とまるで反対だったね」
 赤毛の女性がやや皮肉げに苦笑しながら言う。
 ユエリアはアレスターたち……『あの時』は彼女を牽制してフラムを逃がしたことがある。
 今度はそう、違った。
「ちょっと意外だったぜ、まさかフラムがあんたにまで攻撃仕掛けるとはな。俺はてっきり、味方同士だと」
「所詮は魔物だったということなのでしょうか。」
 二人の男性がそれぞれ感想を述べ合う。
 まさに問答無用、無差別に攻撃をしてきたフラムをユエリアはたしなめた。いつものフラムだったなら、おそらくそれで攻撃をやめただろう。
 ユエリアは切れた服にそっと手を触れる。
 かわすのがもう少し遅ければ、フラムの爪は肩口から彼女を引き裂いていたはずだ。何のためらいも容赦もない一撃。
「しかしだね。あの変わりようはおかしいと思わないかい。あいつは、あんな戦いかたはしなかった。戦いそのものを楽しんでたよ。でも、これはなんだい」
 フラムを好敵手として追い続けている女性は、自分の拳を見つめ独り言のように言う。戦士として、思うところがあるのだろうか。
「戦うしかないとか言ってても、どっちかいうと専守防衛ってかんじだったぜ。今までは。なぁ」
 フラムはさらにその後、説得派のアレスターまで倒していた。こんなことは今までなかった。
 子供らしく魔物らしく無邪気に残酷に、破壊を繰りかえしている。人と言わず物と言わず。
 キレたとか、本性をあらわしただとか、アレスターたちはさかんに噂しあっている。
「……コアが暴走したのかもしれません」
 ユエリアがいきなり口を挟んだ。妙に物憂げだ。
「聞いた話ですが、魔石はエリクシェル・ヴァイブレーションで暴走させることができるそうです。暴走した魔石は、普段とは比べ物にならないエネルギーを産み出すとか。長くは持ちませんし、制御もできませんが」
「ふうん、フラムのコアも同じような状態になってるって言いたいのかい?」
「さあ……可能性の一つです。感情が不安定になっているのは確かですが」
 ユエリアはゆるゆると首を振る。
 ふと、変な気分になった。会話がスムーズだ。なりゆきで一緒にいるが、彼女は自分にとって敵対する立場にいるはずだった。大切な相棒を倒されてまでいる。
 彼女がとらわれなさすぎるだけだという見解に達したのは、しばらく後である。
「どっちにしろ壊れちまったってわけだろう?ま、これで心置きなく倒せるってわけだね。あんたも、文句ないだろ」
 言ってから思った。後味の悪い戦いになるかもしれないと。
 ユエリアは微笑む。
「『触らぬ神に祟りなし』……なんて、わたしたちアレスターには縁のない言葉ですけど。まあ、いいですわ」
 いろいろと反論がくるかと期待していた一同は、あっさりと肯定したユエリアを意外そうに見る。
「何を企んでいるのですか?」
 思わず口を滑らせる者も。ユエリアのこれまでの所業を考えれば当然の反応だ。

「ちょっと待ちな」
 外へでたユエリアを女性が呼び止める。
「……何か?」
 ユエリアが振り返る。ちょうど逆光になっていて、その表情はさだかでない。
「なんで、あの時フラムの足止めをしたんだい。……あたしを、助けるためじゃなかったね、あれは」
 無数の電光が放たれる中。打つ手なしのまま、彼女はフラムに必殺技を撃つべく突撃したのだ。
 返り討ちに遭うはずだった。しかし、ユエリアは《氷棺》の術をフラムに放ち、そして必殺技が炸裂した。
「結局逃げられたけどね。あんた……フラムが死んでも」
「認めたくなかったのかもしれませんわ」
 みなまで言わせず、言葉をかえすユエリア。
「わたしも、人並みに感じるものがあります。ショックをうけていないわけではありませんわ」
「……フラムの事、どう思ってるんだい」
「恋だの惚れたの、そういう答えを期待されているなら、残念ですけれど」
 いったん、ことばを切る。
「それこそ、茶番ですわ」

 ひとりになって、ユエリアはアリアを歩き続ける。
 先日の雨で流れ損なった砂がまだあちこちに残っている。雨によって発生した季節外れの水害は、なまじ埋もれるよりも被害が大きかったらしい。復興に向けて、さかんに人が立ち働いている。
 そんな光景もユエリアの目には入っていない。
 ──お姉ちゃんも一緒に行こうよ──
 差し伸べられた手。
 ユエリアを誘ったのは、彼なりの打算の結果だったのかもしれない。利用できるものは利用する。人間だってそうだ。知性のある魔物なら、なおさら。東方でのアレスターたちの「活躍」のこともユエリアは聞き及んでいた。
 でも、ユエリアは今も考える。あの手を取っていたら、どうなっていたかと。
 結局手さえ取らなかったが、彼女は彼の為にアレスターたちを一掃した。彼を失うよりはと、それゆえに。
 しかし、答えを得られぬまま、『フラム』は永遠に失われてしまった。心の傷を癒すことは難しい。ましてや、壊れた心を誰が修復できるだろうか。
「過ぎ去ってしまった風は、取り戻せないと分かっていても追い続けるか、それとも諦めるか。ふたつにひとつ」
 風を留めたら、もうそれは風ではなくなるのだから。
「そばにいてあげたいと思っていた……幼い孤独な風。けれど、最初からそこにいなかったのかもしれない。わたしも、ひとの物差しではかっていたのですね、彼を」
 それは償われるべきことだ。
 ユエリアは翼をひろげて、舞い上がった。高く。
 視界に広がる蒼穹。肌を灼く砂漠の陽の光。
 眩しい。目を閉じる。頬を、涙が伝った。
「ごめんなさい……守ってあげられなくて……フラム……」
 口をついてでた言葉の真意も、涙の意味すら、ユエリアにはわからなかった。
 いつでも誰でも、一番わからないのは自分の心だ。

1999.9.21

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