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レマンシアの竜騎士プラリア3
『なつのしょうじょ』

 もうずいぶん前からボクの心はからっぽで、風ばっかり吹いてる気がする。
 ボクの想い出も夢も、ボクの心を通りすぎる風がどこかへ持ってっちゃった。
 だからボクは、この宝石箱に入れる宝石を今日もさがしてる。
 ……蒼い宝石がいいな。この空の色みたいな――。

 ノディオンのカイゼナッハ王国、その首都メルサリンクはその起源を数千年前、神話時代までさかのぼる歴史の旧い街である。ながらく封印都市という異名をとり、その創成期ゆえに、また近年は街ごと空に浮かぶというその特異性によってか著名になり旅人や冒険者は絶えることがない。
 
 メルサリンクのはずれにある湖に近い草原に、小柄な人影があった。まだ日が昇ったばかりで朝露のきらめく草の上に、濡れるのを頓着するふうでもなく足をのばして座り込んでいる。短衣に膝丈のパンツにサンダルとごく軽装だったが、脇には旅行用のものらしい小さな荷物がほうり出してあった。
 小さな旅人の青い髪を初夏の風がそっとなでていく。それをつかもうとするかのように彼女、フォーリーフは片手を差し出した。
「あぁ、やっぱり空が近いなぁ……」
 つぶやいてぱたりと仰向けに倒れる。そのままずいぶん長いこと、空を眺めていた。

「あがりー!」
 嬉しげにそう叫んだ少年が、手にしたカードをテーブルの上に投げ出した。そのままテーブルに積んである大量の飴をかっさらう。
「おかしい、ダルがこんなについてるなんて」
「きっとまぐれだよねー」
 同じテーブルについてカード遊びに興じていた面々、長髪の青年とハーフヴァルキリーの少女が口々に勝手なことを言い合うのに、ダルと呼ばれた赤い髪のその少年はばたりとその場に突っ伏す。
「あのなぁ……オレをなんだと思ってるんだよ……」
「ダルは盗賊なんだろう?じゃあこういう賭け事みたいなのも得意なんじゃないかな」
 参加せずに見守っていた黒い髪の少年が遠慮がちに口を挟む。
「そうそう!ライセは分かってくれるよな」
 両手をがっしりと掴まれて、東方風の衣装を着た少年は当惑気味にうなずくしかない。
「でもダルさんだし」
「なぁ」
「いいかげんにしろよ、おまえら」
 まだ納得しない青年と少女――名前をルオとアリアという――に、手元に残った大量のカードをまだ睨みつけながら褐色の肌の少年が声をかけた。
「どうせダルはあと四、五十年もすりゃ死ぬんだから、それまでにいくら勝ったっていいじゃないか」
 ダルがなぜか身体のバランスを大きく崩して椅子から落ちた。
「うわ……」
「寿命の話はやめようよう……」
 このテーブルの一角だけが妙にしんみりした空気になる。
 ダル以外の面々は、人に似た外見を持っていても他種族、あるいはその血がまざった半人である。総じて人より長寿で魔法に長けていることが多い。
 大都市でも小さな村でも、普通人間は人間だけで集う。このように様々な種族が一同に会するようなことは実はまれなことである。こうして仲良くテーブルを囲むことはさらにまれである。
 メルサリンクでは、たいして珍しくもない。ある者にとっては夢のような街だろう。
「でも夢の入ったもんをひっくりかえしたら、あとには何にも残らないんだよなぁ……」
 少年、セリンは今いる「ささやかな奇跡」亭の店内を見渡した。自分達が「大人」と呼ばれる年齢になったころ、この店はもうないかもしれないのだ。ごん。
「セリン君、今なにか変な想像してなかった?」
 なにかがぶちあたった後頭部に手をやりながら見ると、女将のマリアがおぼんを手ににこやかに立っていた。いつも穏やかな彼女には見られない迫力がある。
「い、いいえ、何も」
「セリン、変な想像って……?」
 ライセが別の想像をしたらしく顔を真っ赤にして問うて来る。否定する前にあっというまに周囲に伝播した。
「やーーーっ、やーらしいっ!」
「なんだおまえそういう話オッケーだったのか!?」
「ち、違っ」
「す、すいません僕子どもなんで……」
 ぷち。
 セリンは無言でテーブルを手に立ち上がった。

「うぐぅ、ふらふら〜」
 フォーリーフは人いきれに酔っていた。しかもなんだか予想以上にこの街は暑い。他の旅人達についていって街中に入りこんだはいいが、右も左もわからない。とにかく大きそうな通りを選んで歩いていたが、まだ冷やかせるような店の開く刻限でもなくあてもなかった。
「……あれ?」
 息をつこうとしてふと視線を転じると、少し先の宿屋の前に翼の生えた女の子がいて、店の中をうかがうようにしているのが見えた。
「……ねぇ、なにしてるの?」
 なんとなくひかれるままに声をかけていた。
「うん、怪我人がでたら看てあげるの」
「?」
 同じようにフォーリーフもうかがってみるが、店の中は静かなようだった。
「もういいかな〜」
 ちゃりりん、という軽快なベルの音とともに扉を開ける。中は惨澹たるありさまだった。
「あとでキズナさんたちが来たら、一緒にお掃除してもらいましょうね」
 食堂の中央にマリアが一人で立っていた他は、全員が倒れふしていた。椅子やテーブルもひとつのこらずひっくり返っている。
「こ……これ、マリアさんがやったんですか!?」
 異様な光景にアリアは立ちすくむ。が、そんなことをする店主はいない。
「ちがう〜なんか床下から白い手がのびてきて〜」
「にゃー?手?」
 アリアが手近な者から助け起こしているのを見て、フォーリーフもテーブルの下敷きになっていた少年をひっぱりだす。気絶しているのでぺちぺちと頬をたたいてみた。
「おーい、だいじょうぶー?」
 ぐるぐるに目をまわしていた少年はそれではっと正気にかえる。ライセの鳶色の瞳をのぞきこむ大きな紫の瞳。
「わ……ご、ごめん、すいません」
 わたわたと立ち上がる。おでこにできていた小さなこぶに、アリアが癒しの魔法を唱える。
「あら、お客さまかしら?ごめんなさいね凄いことになってて」
 マリアの声に、全員の視線がフォーリーフに集中した。
「ん、おまえ、誰?」
「うぐぅ……」
 セリンが一歩近付くと、一歩後ずさるフォーリーフ。
「こら。……あれじゃないのか、セリン。おまえどっからどうみてもハーフスヴァルトだろ」
 ルオはセリンの肩をひっぱりながらメルサリンクまで来る道中を思い出す。セリンは意外と気安いが、人間はそう思ってはくれないのだ。
「あれ、でも……ヴィリディアだよね、君」
「にゃ?」
 ヴィリディア。東方の帝国では聖なる種族として崇められている一族である。馬にも鹿にも似た不思議な生き物に変身することができる。
「……あ、ホントだ」
 ルオもぽつりとつぶやく。
「え?え?なんで見るだけでわかっちゃうの?」
 アリアが三人をさかんに見比べる。
「僕らヴィリディアは同族のことはなんとなくわかっちゃうんだよ」
「なんて言えばいいんかな、雰囲気だか、気だか」
 ライセとルオが言葉を選ぶように説明している横で、当のフォーリーフはぼーっと立ちつくしていた。
「……ヴィリディアって、なぁに?」
「え……」
「ヴィリディアっていったら、ヴィリディアだよ。麒麟(きりん)……」
「きりん?」
「もしかして、転変……変身もできない!?」
 予想外の言葉に、当のヴィリディア二人が焦っていいつのる。
「ゴメンね、ボク憶えてないの……」
 フォーリーフはちいさく首をかしげる。
「きおくそうしつ……」
 アリアがそうっとフォーリーフの肩に手を置く。その瞳がわくわくと輝いているのは気のせいであろうとセリンは思うことにした。
「おともだちに、なろーねっ」
 気のせいではなかった。
 マリアが湯気の立つ飲み物を人数分のマグに注いできた。ダルがそれを配ってまわる。甘い香りがあたりに満ちた。
 フォーリーフはぐるりと周りの人々を見渡して、ふわりと微笑みを浮かべた。
「ボクね、フォーリーフ・クローヴァー……みんなはなんていう名前?」

 またひとつの宝石が、夢の容れ物の街に零れ落ちてきた。
 その色は、夜明け前の空の色にも似て。

 そこは風の集う街。ここを訪れるものも、去るものも全てはおなじ風に誘われてゆく。

 2001.10.19
 ありかなこ

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