レマンシアの竜騎士プラリア2
『そらのかなたのふるさと』
「ささやかな奇跡」亭にて…。
ときのつばさひろげ……
どこからか響いてくる歌声。
(ああ、久しぶりに聴くな、この唄……)
セリン・フォルスナは夢うつつの中で耳をすます。
みずのみなもとをみて
そらのかいろうをこえて
あかるきひのともる
なつかしきこきょうへ
ごくごくちいさく囁くように。
少女のように甘いその声は、ずっと遠くからかそれともすぐ耳もとで唄われているのかさだかでない。
(いや、すぐそこにいる。わかる……)
閉じていた目をそっと開くと、金茶の瞳にうつる蒼い瞳が優しく微笑った。暖かな手がセリンの額に触れる。
みかわすひとみのむこうに
そのみちはあり
たったひとりのあなたと
ともにあるこう やくそくのわ……
そのひとへ手をのばす。指はやわらかな金の髪へ届くはず……。
「フィア姉ちゃん……」
世界のどこかを旅しているはずの姉の名が口をついてでた。
「フィア姉ちゃん……って誰だ?」
「!?」
唐突に聞こえてきた男の声にセリンは一気に目が醒めた。しっかりと握り合っている手から徐々に相手の顔へと視線を移動させる。眼鏡をかけた長い黒髪の年上の男だ。居場所は宿屋の一室と思い出す。
「ルオか……?」
ルオ・ツーシャン。東方異邦人のものにしては微妙におかしな独自の民族衣装に身を包んだその男は、ヴィリディア。五色の毛皮をもつ獣に変身し、その姿は東方では聖獣と崇められる。
ただ、彼はとてもそうとは見えない。なぜならなんとなくガラが悪そうだからだ。過去にいろいろとやっていそうなタイプだ。
「で、フィア姉ちゃんて誰なんだ?」
セリンはふーっと息を吐き、ルオににこーっと笑う。そしていきなりがしっと手を握りなおす。
「忘れろーっ!!しかもなんで俺のベッドのとこにいるんだーっ!!!」
左ストレート、渾身の一撃がルオのどたまにヒットする。幸い眼鏡にはあたらなかった。
「うぉっ……何言ってんだおま……貴公が俺のベッドで寝てたんじゃないか……」
ルオが丈夫なのかセリンの力が弱いのか、思ったほどの打撃を受けた様子のないルオがそれでも息も絶え絶えに言葉を絞り出す。
「そうだっけ……?あ、そうかこのベッドに座って本見てるうちに眠くなっだんだよな。ごめん悪かった」
枕元の魔法書を見てやっと全て思い出す。
「で、何か用だったのか」
ルオに視線を戻すが頭部への打撃のぶりかえしがきているのか返事はなかった。一瞬の間をおいて、ふと別の誰かの気配に気付くと同時に声をかけられる。
「ふふふ、ゆーごはんですよ。みんなで食べようー?」
声の方を向くと、半開きにした部屋の扉のむこうから金髪に布を巻き付けた娘がのぞきこんでいた。セリンはそれを見るなりつかつかと娘の方に歩み寄り、
「やーやーやー、閉めないでーっ」
いきなり扉を閉めようとするセリン。閉め出されまいとがんばる娘。背中の一対の白い翼がぱたぱたと抵抗する。
「セリンのいじわるーっ!ハーフスヴァルトーっ」
「ハーフヴァルキリーが何言ってやがる!」
台詞だけ聞いていると宿敵種族同士の争いの一環に思えるが、セリンもハーフヴァルキリーの娘アリア・セレイトも目が笑っていた。
「二人だけで楽しそうに遊ぶな。ほら行くぞ……今夜はマリアさん特製のひじき料理づくしだ」
ルオが背後からセリンの頭をこづく。
「自警団の連中は来てないだろうな」
セリンが自分より頭一つ以上背の高いルオを首をそらして見あげた。
「セリンてば自警団のみなさん苦手なの?」
アリアが首をかしげる。もちろん招いてあるがそれは言いにくい。
「目立ってるから対抗意識持ってるだけだって。ほら早く」
ルオがさらりと髪を揺らして先に立つ。
と、そこに割り込もうとしたセリンとアリアが我先に殺到した。足やら翼やらがもつれて全員廊下に倒れ込む。
「ぎゃー!」
「……おまえらいい加減にしろっ!」
ルオが堪えきれずに怒鳴る。しかし次の瞬間全員で笑い出した。
ちょっと前までは独りきりで旅をしていた。こんなのもいいかもしれない。
かりそめのやどは
うたかたのあんそく
つないだてのぬくもりに
まさるものでなく
たったひとりのわたし
いつかかなうゆめをうたおう……
(これは誰の声だろう……)
幼い夢、いつもの唄。やさしい子守唄。
家族の声だろうとは思う。でも父は音痴だし、だいいち女性の声だ。だとしたら姉だろうか。それともまだ見ぬ母の声かも知れない。
「…………。やっぱダメだな、歌えない」
不思議に懐かしい旋律は耳に残っているのに、声に出して唄おうとする事がどうしてもできなかった。まるでどこか知らない国の言葉で唄われているかのよう。
遠く過ぎ去った時の歯車が、戻ってくるような不思議。
そんなことありえるわけがないのに。
風に秋のにおいを感じた。そう、季節はめぐっている。
なつかしいのは繰り返すからだろうか……?
「このまま冬越えしちまいそうなかんじだな。こんな長逗留するとは思わなかった」
食後のひじき茶をすすりながらルオがのたまった。
「おまえいつまでここにいるんだ?」
「……俺にどうしろと」
セリンのなにげない返答にがくりと頭を垂れるルオ。
「そうだな……逢えるまで、かな。って何だその変なものを見る目つきは」
「誰にだよ。それにおまえにそんなこという色気があったんだな」
セリンは笑う。
「逢えるまで……誰かに?そうかそうか」
そうかもしれない。
出たような気がした答えはしかし、翌日の朝にはすっかり忘れていたセリンである。
2001.8.16
ありかなこ
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