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『太陽紀フロレンティア』プライベートテイル二
『桔梗の華』

「姉上、姉上!」
 高地にある双樹帝国の、もっとも高みに存在する陽射し溢れるテルアマル宮殿の外廊に、幼い子供の声が響いた。
 あどけなくのびやかな、幼児ともいえる少年の声だ。見た目も違わず、そろそろ司族入りをするかしないか。短く切った夕日色の髪と瞳、何より目を惹く朱の翼。五色の翼でペペルの山々を舞うケトワール。
「そのように大きな声を出すものではない。おまえもわたくしのように母上に叱られて宮殿に参上できなくなるぞ」
 街を一望する手すりに腰掛けて駆けてくる少年を待つ、さらに美しい夕日色の翼を持つ姉姫らしき少女の顔には、苦笑が浮かんではいたが、それも弟が可愛くて仕方がないといったたぐいの微笑ましげなものだった。
 それがふと訝しげな色を帯びる。弟が同じくらいの背丈の誰かと連れ立っていたからだ。
「姉上、御覧ください!お綺麗な姫君でしょう。シフォリア様というんですって」
「ほう……」
 弟が自慢げに手をとり紹介したのは、カナンの紡いだ糸のように輝く青みがかった髪に青紫の華が映える、なるほど繊細そうなジュカ(樹華)の姫君だった。華とおなじ青紫の瞳が遠慮がちに彼女を窺う。見かけたことのない顔だった。
「お初にお目にかかる。わたくしはシユウ・ランカ・エルダールと申す貴族のはしくれ。……姫君は、どちらのお家の方かな?」
 教え込まれた、動作だけは作法どおりの挨拶に、翼を広げてみせるケトワール流も付け加える。自分の翼の美しさにそれを見た人々を瞠目させるのを好むのは、ケトワールの悪いくせだ。シユウも例外ではない。
 弟は困ったことに翼の手入れよりも空を自由に駆ける鍛練にかまけているようだが……。
「わたしは、シフォリア・ラクト・グロメラータといいます……どうぞシフォンとお呼びください」
 小さなシフォリアは、言葉少なにそれだけを言った。
「グロメラータ。確か月華の都にて家を興されている皇族の……姫君でしたか」
 幼い姫君は、肯定の頷きを返すでもなくシユウを見つめている。
「皇族の姫君なのですか?じゃあ」
 驚く弟に、姉はやや意地の悪い笑みを向ける。
「お嫁さん、にはちと難しいな。この姉の口添えをもってしてもだ」
 子の成せぬ異種族婚は貴賎を問わず厭われる。相手がシャンドラの大地の潤いを支えるジュカで、しかも皇族ならばなおさらだ。ただ、姉姫には幼い弟の純粋な心もよくわかっていた。

「その後シフォリア姫の母君がいらしてな、なんと『姫』が男であったのが知れたのだ」
 昔語りは今も変わらぬ陽射しのもとで。
「シユウ姫様、これは笑い話でございますか?」
「難しいところだな」
 真顔で問うユェンユェンの歌姫ツキコ・カナルに、シユウもわざとしかつめらしく答える。
「昔の話だからな」
 シユウはそこらに屈んで、咲き乱れる花のひとつをやわらかく掴む。そこはパルディッサにあるエルダール家の邸の庭だった。
「綺麗。まるで姫様の翼のような茜の花ですわ」
 シユウが花の香りを楽しんでいると、声と共にぬっと巨大な狼の顔が突き出される。炎の毛皮のそれは、炎霊の幻獣。
「エトルス……」
 シユウは己の幻獣にちょこんとまたがっているツキコのかわいらしい様をを見、おもわず吹き出した。ツキコには理由がわからない。
「シユウ姫様?」
「あ、ああ、この花か」
 夕日色の姫は、自分と同じいろを持つ花をいとおしげに指先で撫でる。
「月華の乱が始まる少し前だ。久方ぶりに火雫の里を訪れた際に、都の方まで足を伸ばしてみた。その時に出会ったジュカから貰ったものを持ち帰ってここに植えたのだ」
「月の都からここまで?よく持ちましたわね」
「枯れることはなかった。今でもこうして花を咲かせ、種を実らせ、絶えることはない。エナの祝福か……ジュカの力は我々には計りしれん」
 言いながら、花をくれたひとを思い返す。玲瓏でいてどこかひたむきな瞳の佳人の、長い青白の髪に光る貴石のビーズと青紫の桔梗の花。
 手折られた花のように、それはとても儚げで。
 彼から彼女へ確かに紡がれたはずの二つ名。
『……落陽の姫様……。』
 過去へ呼び掛ける呟きは、届く前に風に溶けて消えた。
 
 あの小さなジュカの『姫君』は、月華の都に帰ってまもなく、何者かに攫われてしまったと聞いた。八方手をつくしたが、とうとう見つからずじまいだったと。

「シフォン、わたくしを憶えていてくれただろうか……?」
 幼い日は全て遠く、ひかりのようで掴めない。もどかしさに夕日色の目が哀しげに細められる。狼エトルスが、主人を慰めるように体をすり寄せた。それと共に、ちいさな手もシユウの頬に触れる。ツキコだ。
「すまんな、独り言だ」
 紅いルビーの瞳をまんまるに開いてツキコが笑う。元気づけるように。
「たった一度お会いしただけなのに、忘れ難い方はおられるもの。その方は、確かに姫様の御心の内に軌跡を残されていったのですね」
「軌跡、か。そうかもしれないな」

 この戦が終わったなら、また月華の都を訪ねよう。あの街道沿いの小さな家は、まだあるだろうか?

「さあっ!」
 びよんと音を立てそうな勢いで、ツキコが乗っていた幻獣の背から降り立つ。
「ふふふ〜、キヨウのお祭りの準備をしなければ!シユウ姫様も、お早く」
「何か楽しいことでも考えているのか?」
「ええ、とっても楽しいことですわ」
 
 手を取り合う。
 確かに今を生きているあかしに。

 連れ立って屋敷へ向かう二人の後を追うように風が吹いて、花をさざめかせた。
 
 
 太陽を追いかけて月が昇り
 月を慕って太陽が昇り
 月のない夜には
 闇をなぐさめて星が輝く

 追いつけない堂々めぐりから
 さあ ここにきて
 いとしき思い出の子らよ
 わたしの腕の中で眠れ

2001・5・あり

 ●二作目。E1のシフォリアさんとのリンクプラテルです。弟君は一作目のと同じ弟です(設定上たくさんいるらしい)。でもまた名前出しそびれたよ。

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