フォーチュンオブギャラクシア プライベートテイル1
『レイン、旅立つ』
はらり、と、銀を帯びた水色の長い髪が複雑な模様を描くモザイクタイルの上に落ちる。
「ベルゼブブのバカ」
おそろしく広い浴室。その真ん中にある真鍮のシャワーのついた瀟洒なバスタブの中で立ち尽くしたままそう呟くのは、痩せぎすの半妖の男。少年と青年の境目くらいに見える。
顔をうつむけたまま、残ったひとすじの髪を片手でぐいとつかみ、もう片方の手で持った鋏を容赦なく入れる。
じゃきっと折れそうなくらい華奢なうなじがあらわになった。
「ベルゼブブの、バカっ!!」
シャワーの蛇口を一気にひねって、ほとばしる水を頭から浴びる。あおむけて水滴を浴びるその白い顔は、ひどく美しい。
たまたまその名前が出ただけで、本当はそいつのことなんかもうどうでもいいんだ。
もういいんだ。
このどうしようもない心のたけをぶちまけるのに、ちょうどよくその名前がころがってただけ。
レイン、二十五歳、レイン城城主。副業、男娼。
いまの自分。
かつて悪魔将軍の『飼い猫』をしていた、その給金で建てた城。人間のどの王の城にも遜色ないほど美しく、しかしながら華美でなく、質素すぎもせず、城主その人を思わせる麗姿。
その広大な城の、日当たりのいい誰もこない一角、そこがレインの部屋。
立ち入ってはいけないわけではもちろん、ない。来るもの拒まず去るもの追わずがレインの持論だ。
だからいつも城には気心の知れた友人や知り合い、家無しの不審人物にいたるまで気ままに暮らす。しょっちゅう遊びに出かけて主のいない城が荒廃しないのは彼らのおかげ。
みんな家族みたいなもんだ。愛してるよー。
にっこり笑って両手をひろげて、そう言う。
でもその言葉を一番信じてないのはこの俺だ。
愛の先に何があるのか。何もないから。愛すら。
愛のかたち、愛の証、愛の結晶。
俺は子供が産めないから――。
顔を流れ落ちる水が涙のかわりをしてくれる。とても気持ちいい。
ぱたぱた。
「普段誰も来ない一角」であるはずのそこに、軽い足音が響いた。普通は耳に届かないほど微かな音だったが、半妖の鋭い聴覚はそれをとらえた。
レインは水を止め、濡れた髪を手ぐしで整える。誰が遊びに来たんだろうか?
腰に布をまきつけて体裁を整えている間にまた足音。浴室の出入り口のむこうをちらりと赤いものが横切った。
「子供?」
と思う間もなく、とととと後ろ歩きで足音の主が戻ってきた。レインのカンでは歳のころは八つになるかならないか、赤い髪に紫の目の少女。民族ふうの変わった装いで、さらに背中にハープを背負っている。
目があった。それきり視線が離せなくなる。誰かに似ているような気がしたが、すぐには思い出せない。
少女はレインと目があったとたんにぱたぱた駆け寄ってきた。
「ユーラ・アスターだよ」
腰布一枚のレインの腰に抱きつく。
そして言った。
「あたしのパパー!」
「何ーーーーーーーー!?」
○
あれほどの衝撃は今までの人生で経験しなかった。
これから――まっとうに生きれば――数百年の寿命のうちでも五指にはいるくらいにはなるだろう。
「アスターって、憶えてない?セレネーラママのカレシの名前じゃよー」
大通りの真ん中でにやにやと笑み崩れながら喋る女――銀灰色の髪をして、首に細身の灰色猫を巻いている――名前はジアリ・ピアリ・イアリだった。五年前までは。今は本人いわく本名のアリィというらしい。セレネーラとは、レインとアリィの共通の友人で、ユーラの母の半魔の名前である。
「憶えてねぇ」
アリィからわずかに目をそらしながらレインが答える。最愛の娘を追い掛けて来た先になぜ自分はこの女といるのか。答えは簡単、最愛の娘ユーラが追っかけているものをこの女が持っているからだった。エメラルドグリーンの髪に真紅の目の五歳くらいのかわいらしい少年。五年前にも会っていて、その時は乳飲み子だった。
魔道王国歴代の王を産んで来た光の魔女エルエンドラの、最初にして最後の子の片割れエレーヴ。事情あってアリィが母親をやっている。
もの扱いだが引き取った経緯を聞き知るレインにとっては彼が無事育ち生き残った事実に感嘆するばかりである。が、アリィの科白からある事実に思い至りレインは顔に出さずに驚愕する。
「……ってことはそいつがユーラの本当の父親か」
「セレネーラちゃんいまハタチ」
心底楽しそうに言い返すアリィ。
ユーラはいま十歳である。にやにや笑いがいっそう深くなるアリィに、軽く敗北感。おもわずこぶしを握りしめるレイン。
「パパー」
「どうした?ユーラ」
そこへ時機よくかかる娘の声。直前のもやもやが全て吹き飛んだ満面の笑顔でレインが応える。
なりゆきというか、半ば無理矢理パパにされたレインだが「パパっていったらパパなの」、結局きちんとユーラを養女に迎え――どこの国へも届けは出していないが――いまでは娘を猫可愛がりする見本市に出せそうなくらい典型的な馬鹿親である。
その最愛のユーラは、「あたしのおうじさま」エレーヴと共に屋台の飴を選びながらレインに手を振る。幸福な光景。
「旦那ー、あたしにも飴買ってくれ」
かるーい調子でたかってくるアリィにがっくりしながらレインは財布を取り出す。こいつ自分はどこかの王女だって言ってなかったか?
レインが差し出した銅貨をひっつかんでアリィが子供達のところに走る。大人っぽく印象は変わったが、中身はそのままらしい。五年経ってずいぶん背が伸びたレインと違って背丈が変わらず小さいままのせいもある。
小さな彼女らが飴をとりあってはしゃいでいる。そんな街角によくある切り取られた風景。さしずめ自分は彼らのお父さんといったところか。アリィがお母さんだが、自分の伴侶ではない、それでも家族。
なんともいえない気持ちを抱いている自分に気付いて、レインはふと微笑う。
「変な家族だ」
そんな言葉が口をつく。アリィが耳ざとく聞き付けて駆け戻ってきた。レインの耳もとに背伸びして――五年前までは似たような背丈だった――囁く。
「パパー、あっちの水菓子も買ってくれ」
「ふざけんな自分で買えよてめー」
思わず本音で罵るレインである。ユーラには聞こえないように、囁き声で。アリィはけらけらと逃げて行く。
「アリィ義母さまー」「おかあさん、まってー」
子供たち、ユーラとエレーヴもアリィについて走り、少し先で立ち止まってレインを待つように振り返り両手をふる。誰がどう見ても幸せな家族に見えるだろう。
「みんな家族だ、愛してるよー、か……」
変で、気兼ねの無い、偽物の家族だ。
自分にはこれくらいがふさわしいのかもしれない。そう思ったら、なんだか気が軽くなってきた。どーしよーもねーな。レインは笑う。
ゆっくりと家族のもとに歩いて行く。
そうだ、愛は信じない。先なんか見えない。
レインはゆっくり歩き続ける。
おわりー。
2005.11.20
*じゃあ、そういうわけでよろしくおねがいしますユーラちゃんレインさん。2005.11.20
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